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白州正子 神と仏、自然への祈り
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<白州正子 神と仏、自然への祈り>を見に世田谷美術館へ。

古い趣のある建物が好きだからから、周囲の方に無相荘のお話は聞いていてサイトも見ていましたが、歴史に疎いので白州正子とはなんぞや?とあまり知りませんでした。
とりあえず展示は見に行こう、とチケットは持っていたけどどんな展示か知らず…。けれどTVでこの展示を紹介したのをちょっと見ただけでも展示はとにかく面白そうで楽しみにしてました。

那智の瀧の音から始まる展示。瀧、山、草木、水、石…この時節に見るとひときわ訴えるものを感じられる、宝物と正子の言葉の数々。泣けてきます。




白州正子はお嬢様であり、小さい頃から能に親しんで女性として初めて能舞台に立った人物。周囲にいた文化人から骨董や文芸などの薫陶を受けその世界に没入していったそうです。43歳のときに能面を求める旅をしたことをきっかけに知られざる神仏像を取り上げた紀行文が大変評価を得ているそうです。
今回の展示はそれらの紀行文からの正子の言葉を抜粋し、それとそのときに遭遇した名宝の展示をしているものでした。

これがすごかった。
展示されてる物体と正子の言葉を合わせることによって、その神格がより圧倒的になっていたのだと思います。<自然信仰>が根底にあったために、自然の険しさとか雄大さが日本を襲った震災の脅威と重なりました。
それが何かは分からないけれど、ふつふつと感じる敬畏。
正子は子供の頃に遊びに行った御殿場で富士山にその<何か>を感じていたそう。

また日本はまだ宗教(仏教かな?)がなかった時代、像を作って拝むことをしていなかったようで、それは散歩して歩くだけでそこにある自然の中に沢山の神を見ていたからなのではないか?またその後神像を作ったとき仏像やほかの彫刻と違って直立不動で表情がないのは神木信仰があったため木から人型に掘り出すのに<木>を人格化して彫ったために、ただそこに佇むような像になっているのではないか?という正子の推察がありました。

名宝には時々あからさまな力作もありましたが、その中で眼につくのはやはり極限まで削ぎ落とされたものでした。精神性でしかないようなもの。テレビで紹介されてて印象に残っていた<焼損仏像残闕(しょうそんぶつぞうざんけつ)>と、とりわけ異質だった円空の<観音像群像>。
<焼損仏像残闕>は奈良・松尾寺で対面した元は千手観音像。火事で焼けて手や装飾をなくし、なんとなく背筋の伸びた形のみが残るトルソーになっています。死してなお以心伝心し続ける。
<観音像群像>は正子いわく<木彫の原点に戻った>シンプルなもの。角材にちょっと彫刻刀で筋を彫っただけのような、民藝の手前のようなかんじ。ここまでくると完全に個人的なものになったよう。それこそ究極的に信仰の原点かもしれない、そう思って印象に残りました。

能面の数々も子供の頃は怖いイメージでしたが、なぜか大人になると怖さがなくなる。ちゃんと笑ってるようにも見える。ちょっとキザっぽいのがいたり、ピエロみたいなのがいたり。

<武蔵野図屏風>では草原の隙間の地平線に丸い真っ赤な太陽が大胆に配置され、面白い。この時代の太陽の輝きの力もとにかくデカい富士山も今とは格別のものだったろうし、その強大な自然に身を任せるように暮らし信仰する気持ちをほんの少し分けてもらった展示でした。
by orangewords | 2011-04-28 23:42 | アート雑記
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